2015年10月30日
akira's view 入山映ブログ 新しい公共(4)
後知恵で言っている(Always wiser afterwards.)わけではないが、県知事選挙で民主党が負けるくらいのことは政治評論家でなくとも分かりきった話ではなかったか。県民の良識に敬意を払うに吝かではないが、「政治と金」の影響もあったのではないかとは、渦中の当事者はこれほどものが見えなくなるものだろうか。それとも「ふり」をしているだけなのかな。前原氏が、仙谷氏が、枝野氏が失礼だが「屁っぴり腰」で小沢批判をするのが精一杯というのでは、民主党のガバナンスもこれまでと思うべきなのだろうか。
重ねて言いたいのだが、わずか4ヶ月ほど前のあの新鮮な感激がこれほど早く、かつこれほどおぞましい形で泥にまみれるのは、残念を通り越して憤りに近い感情を持っている有権者も少なくないだろう。多くの可能性を持つ政権だけに、余りに早急な結論を急ぎたくはないが、このままでは自滅すること間違いない。予算が通って景気が少し好転すれば追い風が吹く、と言った生易しいものではない。何よりも困ったことには、民主党が自滅すると、先の惨敗に何も学んでいない自民党が生き返りかねないことだ。
民主党について言えば、小沢氏を幹事長から外してみても、実はことは何も解決していない。しかし、それさえできないようでは、という話だ。ならば、小沢氏とその一統によって代表される旧体質に違和感のある民主党の面々が党を割って飛び出す。自民党からも同調者が出る。「みんなの党」が中核になって結集する。というシナリオが現実化するだろうか。何よりもその離合集散にはどれほど時間がかかるのだろうか。と、こんなお伽噺もどきの期待さえ出てくるほどの閉塞状況は何に起因するのか。
笑い話で言えば、先の選挙で民主党が勝ちすぎた。過半数割れそこそこならば、少数会派が触媒になって様々の可能性があっただろう、と、こういうことになる。「れば、たら」の話はいかようにでも設定できる。しかし、そういう数合わせや、旧態依然たる数の力学ではこの閉塞状況は抜け出せまい。前回(「新しい公共(3)」)述べたように、税金の再配分機能のイニシアティブを誰がとるのか、という争いではなく、「新しい公共」の哲学をだれが、どれほど鮮明に打ち出すかという争いになる。審議拒否で安眠をむさぼっている自民党に期待は持てまい。大きい政府の尻尾を引きずっている民主党にその可能性があるか。国家財政が破滅する以前にそんな哲学を唱導するグループが日本の政権を担当することになるとよいのだが。
2010年 02月 24日