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2016年5月30日

「変わった本たちとの出会い」(5)蘆花、漱石、上田敏、八雲 竹下英一

昭和27年3月に私たちは東京、目黒駅に近い品川区上大崎三丁目に引っ越しました。祖母もやがて合流し、この家が中学2年から大学卒業までの住まいになりました。中学から高校にかけて、勉強以外の読書は主として内外の文学書が対象でしたが、新刊書を買うことは少なく、家にある戦前版の全集類を片っ端から読み漁りました。小学校六年の頃に徳富蘆花の全集に手を付けたのが最初だと思います。

 蘆花は熊本生まれ、国家主義的政治評論家の徳富蘇峰の弟です。明治プロテスタント運動のひとつ「熊本バンド」の一員で、兄とは異なり生涯無教会的信仰を捨てず、トルストイに傾倒し白樺派の源流の一つになりました。今は通俗小説「不如帰」の作者として辛うじて記憶される程度ですが、昭和初期までは長編青春小説「思い出の記」で有名でした。これは自伝的な小説ですが、実際の出来事のうちのロマンチックな筋立てに合うものだけが取り上げられ、他は完全に捨てられています。読んだ時はまだ幼かったので、前半は「人生とはこんな美しい出来事に満ちているのか」と感激しましたが、後半主人公が農園事業に成功し信仰に満たされた人生を歩む段になると、にわかにつまらなくなりました。いくら子供でも、人生がこんなに簡単にうまくいくはずがないことは知っていたからです。

 蘆花を全集で読んだことは別の意味でプラスでした。全集には作家の主要な作品以外に、執筆時期が異なる様々な傾向の短編、評論から時には習作的なものや年表まで組み込まれており、作家の本当の姿や振れ幅が分かるからです。つまり、いかに苦労しながら成長していったのかを、作品を軌跡として深く知ることができるからです。

 漱石も家にあった全集で読むことができました。私が特に好きだったのは、「倫敦塔」、「草枕」から「猫」あたりまでの初期の、様々なテーマと文体を探っていく作品群でした。漱石は、東京牛込の名主の家に生まれ漢学の素養があった上に、英語の才能で私塾から台頭し、留学後は八雲を継いで一時東大講師となった人です。予備門の時に子規と親交を結び共に俳句を好んだ結果、「猫」に至って、この頃の作家にありがちなマンネリな表現を排しくっきりしたイメージを新鮮かつ近代的な語彙で表現するスタイルを完成させました。ほとんど一人で現代日本語の基礎を作った偉大な作家でした。

 上田敏も全集で知りました。今では象徴派の訳詩集「海潮音」や「牧羊神」、中でもヴェルレーヌの「落ち葉」の「秋の日のヴィオロンのため息の 身に沁みてひたぶるにうら悲し」などで記憶されている文学者ですが、漱石の7才下、築地で旧幕臣儒学者の家に生まれ漢学に親しんだうえ、八雲をして「弟子1万人の中でただ一人の表現力」と言わせた英語力、勢い赴くところ独仏ラテン語に及ぶ語学の天才でした。欧州留学後漱石と同じ頃東大講師に就き、後に京都大学教授に転じましたが、惜しくも41才で早世しました。評論類を見ると信じられないほどの原典渉猟能力です。漱石とは違う意味で彼も日本語表現の開拓者でした。

 最後は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)です。読んだ時期は中学から大学を卒業して社会人になるまで比較的長期に亘ります。よく知られている通りギリシャでの不幸な生い立ちの為、英仏で教育を受け乍ら居場所を失い、19才で米国に渡りシンシナティ、ニューオーリンズなどの新聞社に記者として勤めました。フランス文化の影響が強い米国南部、カリブ海諸島の居心地がよかったようで、エキゾティックな記事で文名を次第に上げていきました。明治23年ハーパー社の特派員として来日、政府の雇い外国人教師チェンバレンらの紹介で松江中学、熊本の五高などを経て東大講師となり、名講義と精力的な作家活動によって明治期の日本のイメージ形成に大きな役割を演じました。私は八雲の作品が特に好きで、ほとんど全部読んでいると思いますが、特に米国での記者時代の作品と来日当初の「知られぬ日本の面影」、「東の国から」などが好きです。新聞記者として何事かを読者に伝えたいという意欲から表現へのこだわりは強く、熱気を含む選ばれた言葉で鮮やかなイメージを描いていきます。

 漱石、敏、八雲のある部分を愛する私は結局のところ、作者の抱く思考、感動を読み取り共有したいと思う標準的な文学少年ではなく、イメージと言語表現との間のアクロバットを楽しんでいる子供だったと思えてきます。(つづく)

平成28年5月 竹下英一



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