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2020年1月21日

日々雑感 第二十七話 及部十寸保

第二十七話 「松井先生を偲んで」
 二〇一九年九月四日、桜丘高校卓球部元監督松井彊氏が病没された。享年八十七歳。私と同年生まれであった。私は松井先生に以下の言葉を捧げようと思う。

 松井先生、お疲れ様でした。貴方の素晴らしい人生がこれほど早くゲームセットを迎えるとは思いませんでした。今も信じられません。けれども貴方の残された業績はいつまでも語り継がれることでしょう。
 先生が眠りにつかれたとき、先生が育て上げた松下浩二氏が、ツィッターに寄せた言葉がここにあります。それを見て、私は今一度泣きました。
 私を小学四年生から育ててくれた恩師の松井先生が永眠されました。卓球のことはあまり教えてもらった記憶はありませんが、人としての生き方をおしえてくれました。「隅にいて隅に置けない人間になれ」と常に謙虚で努力をしろと良く言われていました。 心よりご冥福をお祈りいたします。
 皆さん、人としての生き方を教えられたと生徒に言ってもらえるなんて素晴らしいと思いませんか。今の卓球は、他のスポーツと同様に、お茶の間で見る娯楽ものになっているためか、「勝てばいいさ」といった勝利主義に偏ってしまっています。人としての生き方を指導者から教えられたという言葉に新鮮なものを感じませんか。
 松井先生は、身体も大きかったが、やることも他の人とは違っていました。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんし、私自身も書いたことがありますが、こんなエピソードがあります。先生は、ご自分のチームが負けてしまったとき、 素早く近くの書店に駆け込みました。そして、日本一のチームはどこか、一番強い選手は誰か調べ上げたのです。そして、 荻村氏という素晴らしい指導者がいることがわかると、ただちに、荻村宅に出向き、居候を決め込んでしまいます。松井先生は家事もこなしながら、荻村氏の元に長く滞在できる努力をしました。その努力が実り、先生は荻村流の卓球を身につけました。そして、短期間で日本一を競う高校チームを作り上げたのです。そして、その中で、世界一を競う選手たちを育て上げたのです。
 桜丘高校の多くの父母や教師たちが、松井先生の指導ぶりや卓球部の活躍に魅せられました。全国至る試合会場に皆応援に出かけました。生徒同士の激しい闘いも一生懸命応援しましたが、監督Vs監督の采配ぶりにも興味を持って見入りました。惚れ込んだのです。そして桜丘の卓球に、夢と希望をいっぱい持ったのです。先生の指導ぶりには迫力がありました。
 平成十七年一月、先生は、東京体育館での全日本卓球選手権に先だって行われた、「第五回卓球人賞」贈呈式で、指導者賞を授与されました。松下浩二氏等を育てた名監督としての実績が認められたのです。そのときの選手大賞は平野早矢香選手だったそうですね。その後、行われたパーテイーには、先生の教え子であり、世界チャンピオンの深津尚子さんも同席されていたとか。受賞者を代表してお礼のスピーチを述べられた先生の喜びは格別なものがあったことでしょう。
 私は、松井先生の心の温かさに打たれたことがあります。そのひとつが、私たちが、生徒の無気力や無関心を打ち破るために始めた渥美半島縦断夜間歩行の際のことです。先生は、寝ずに朝まで、ゴールの学校で待ち続けてくれました。「やればできる」という色紙を書いて、私のところに持ってきてくれ、ご苦労さんと言葉をかけてくれました。
 また、退職後の話ですが、身体を動かす方がよいと、松井先生は熱心になって誘ってくださったものがあります。それはラージボールを使っての卓球。日本が発祥の新しいスポーツです。先生は豊橋の教室の代表を務められていました。ご自分の車で、私をせっせと体育館まで乗せてくださいました。残念ながら、身体が固くなってしまった私は上達はしませんでしたが、年をとってからも先生と過ごせたこと、今は大切な思い出です。
 松井先生の豪快な人柄と共に、残された業績は忘れられません。桜丘の卓球部とこの地域の方々が先生の偉業をきっと引き継いでくださると信じています。
 千佳子夫人はいつも明るく、常に先生を励まされていました。卓球経験は浅いのに、先生の相手をされ、ダブルスで好成績をあげられました。ほほえましいご夫婦でした。先生もさぞお幸せだったと思います。
 先生は、よくおっしゃいました。「人事を尽くして天命を待つ」 人としてやれるだけのことをやり尽くし、その結果はただ天命に任せる。事の成否はともかくとして、とにかく全力を尽くす。改めて心にしみる言葉です。
 そして、最後に、先生が好まれた漢詩を紹介して、お別れの言葉とします。

  事之未成 小心翼々 (ことのいまだならざる しょうしんよくよく)
  事之将成 大胆不敵 (ことのまさにならんとす だいたんふてき)
  事之己成 油断大敵 (ことのすでになる ゆだんたいてき)
  右数語 海舟翁座右銘(みぎすうご かいしゅうおうざゆうのめいとす)

打つ前は小心翼々。臆病なくらい慎重に打っていく機会を求める。
打つときは大胆不敵。後先考えず、打つことに集中する。
打った後は油断大敵。残心で、相手の攻撃に備える。
松井先生、さようなら。

2019年9月23日 記す



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