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2020年4月16日

中高年の健康戦略(3) 富士通川崎病院 院長 行山康

 「生病老死」という言葉を中心に中高年の健康戦略について考えてきました。今回はもっとも重い話題とも思える「死」について考えてみます。
 「死」
 これまであらゆる宗教家、哲学者、文学者、心理学者、生物学者その他大勢のひとが「死」について語ってきています。共通していえることは誰も直接に経験していない以上、全て想像によるということです。
 誰でも「死」の意味については知っています。しかし、いつごろからひとは「死」に着いて知るのしょうか。小生の場合は小学生の3、4年の頃のある晩にそれは突然きました。ふとんにはいって目をつむっていると、いずれ父も母も死んでゆくのだ、ぼくはひとりぼっちでこの世の中に残される、そう考えると寂しくて、悲しくてとめどもなく涙が流れたことを覚えています。自分の死に関しては近親者の死をとおして、自然と自覚するにいたったようにおもいます。

 「死」はまぬがれることのできないものであることは誰でも知っています。この免れがたさをとことんに表現したものとして、「竹取物語」(岩波文庫)があります。
 誰もが知っている話かもしれませんが簡単にストリーをまとめると、昔、竹取りの翁とういうひとが竹の中から赤子をみつけ、かぐや姫と名を付けて大事に育てました。かぐや姫は美しい姫君に成長し、その美しさは例えようがないほどで、何人もの貴公子が言い寄りますが、難題を与えて首をたてにふりません。美しさの評判は時の帝にも聞こえて、是非、宮中に上がって欲しいといいますが、旅行の途中にちらっと盗み見させてもらっただけで会ってはくれません。ちらっと見ただけでもその美しさにうたれた帝はしきりと宮中へあがるように言って欲しいと親である竹取りの翁に頼みます。そうこうしているうちにかぐや姫は何故か毎日泣き暮らすようになります。翁がわけを聞くと月から迎えがきて翁と別れなければならないといいます。翁は慌ててそのことを時の帝に報告します。月から迎えの使者がくるという晩に、帝は家の中に千人、家の屋根に千人の兵士を配置してかぐや姫を月の使者からまもろうとします。また家の中にさらに蔵のようなものつくり翁の妻がしっかりとかぐや姫を抱いて守っています。これだけの備えをすれば、いかな月の使者といえどもかぐや姫を連れてゆくことはかなうまいと人々はおもいました。
 いざ月から迎えの使者がくると、兵士たちは全く力が抜けて、立っていることもできません。かぐや姫は飲めば死ななくなる不死の薬を餞別において、使者とともに月へかえってゆきます。
 小生の勝手読みかもしれませんがこの物語ほど、せまりくる「死」に対して人間が無力さを感ずるものはなく、かぐや姫が月にかえってゆく様子は「死」が美しく昇華されたものとして解釈できます。死はなにびとも防ぐことはできない。「竹取り物語」では死というものを前にしてひとが感ずるどうしようもない無力感が象徴されているようにおもいます。
 かぐや姫の月への昇天を悲しんだ帝はかぐや姫のいないこの世にいて不死の薬を飲んだとてしょうがないと、駿河のほうの月に近いほどに高い山で薬を焼かせます。その山は不死の薬を焼いた山(富士山)として伝えられたといいます。
 死は免れがたいことですが、死のとらわれヒトとなってはいけません。帝が小さな田舎家に2千人もの兵士を配置して防ごうとしたこと、そして 時の最高権力者をもってしても防げなったことによって、帝は自然と悟ったのです。天地、自然の摂理があり、それを越えることはできないと。だから不死の薬を山で焼かせ、天地、自然の摂理にしたがって生きよう、それはすなわちいずれ死ぬということをふくむものです。この雄々しく気高く「生きる」の象徴が不死山(富士山)といえます。
 すなわち「死」は「生」を天地、自然の摂理、宇宙の真実に統合することによって解決されるべき問題とかんがえます。これは簡単なことではありません。例えばあなたが「不老不死の薬をあげるからお服みなさい」といわれて、拒否して山で燃やす事ができるでしょうか。「死」はだれも経験したことのないことですから不安におもうのは当たり前です。

 ここまでお読みになって、なんだ普段していることじゃないかとお感じになったかたも多いかとおもいます。そうです。それほど目新しいことを書いてきたわけではなく、私が良い戦略でうまく中高年の健康問題をのりきっているなと感じたひとたちの様子をいろいろと混ぜ合わせて、よいところをかいてきたのです。


※生老病死(しょうろうびょうし)は仏教の根本思想である「四苦八苦」のうち、四苦をさす。ひとにとって老病死は「苦」であり、老病死は生なくしてありえないから論理的帰結として生もまた「苦」とされる。



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