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2020年7月22日

中高年の健康戦略(17) 富士通川崎病院 院長 行山康

 「思い」という言葉は「思い込み」、「思い入れ」、「思い過ごし」などちょっと言葉が添えられるだけで複雑な気持ちをあらわすことが可能となります。また「思い」というだけで色とか恋などを想定されるかたもいるでしょう。ここではもうすこし広い意味で話をすすめたいとおもいます。すなわち日々の起動力となっている前向きになった気持ちを「思い」ということにしてみましょう。中高年に限らずひとは「思い」をもって生きているし、また強い「思い」で生きようと思っています。
 百歳近いかたが本場のアルプスでスキーを楽しむというようなことが伝えられると、よしおれもまだまだやれるはず、頑張ろうという「思い」をいだくひともいるはずです。
 ひとの「思い」はまた別のひとの「思い」を誘い、共鳴し伝播してゆきます。例え実際の行動はかけ離れてそれぞれが異なっていても根底にある「思い」はかわりません。
 以前にこのシリーズの第2回「病」で書いたことですが、漫画家の富永一郎さんは絵を描くことが好きでたまらない。絵を描くには体力もいるしエネルギーもつかう。だからおおいに食べることも必要だ。ところが糖尿病と高血圧がある。食事の量と質を制限し、運動による体力の維持とカロリーの消費を常人以上に意識的に計画しておこなわねばならない。したがって講演をたのまれても講演後の関係者との会食などは断り、コンビニで買ってきた食材を水道で塩抜きして食べ、ベッドの脇で歩行訓練するというような生活をする。これはすべて絵を描きつづけたいという強い「思い」に支えられているからです。
 そうした「思い」が病を克服する原動力となっています。すなわち糖尿病も、高血圧も病的状態ですからそれなりに対処しながら生活してゆく必要がある。そうしたとき絵を描き続けたいという「思い」は病を克服する大切な力になっているのです。

 「思い」は日々の生活を通じて、中高年での精神的、身体的健康に関係します。「思い」が富永さんのように健康志向をふくんでおれば大変素晴らしいことですが必ずしも一致するわけではありません。
 例えば若い頃スキーでならしたから再びスキーで頑張ろうとおもっても簡単ではありません。100歳でスキーをするにはたゆまない努力があったから可能なので、少しずつ足をならしていってもよほど注意深くしないと怪我したりしてかえって不健康になることも覚悟しなければならない。しかしそうした健康を障害する危険をおかしても貫きたい「思い」もあります。
 退職後、調べたいことがあると何年も図書館通いをしているひとがいる。肩こり、目の疲れ、根気が続かないなどを症状として受診される。図書館通いよりは少しは体を動かす時間をとればとすすめするが、体調が悪いといいながら通うとことがやめられない。よほど強い「思い」で調べたいことがあるのに違いないとは考えますが、「思い」はバランスのよい健康状態を獲得することを妨げています。「思い」は生きる力となっていますが、「思い」をとげてゆくには、自分の健康に関して冷静な判断をして戦略をてないと、かえって「思い」から遠ざかってしまうことがあります。

 自然にまかせるのが一番で「思い」など人生の目的のようなものをもつと気持ちが不自由だ。なにかに執着することはごめんこうむりたいというかたがおります。しかしこれもまたひとつの「思い」なのです。完璧に天地自然のままに毎日を送ってゆくこともなかなかままならないのが普通です。自然さと無為を貫くことも相当な努力と「思い」がいるはずです。
 そういうわけで100人のひとには100人の「思い」があります。しかしどこかで「思い」と健康がぶつかり、どちらかが譲らねばならない事態がおこるかもしれない。それでも「思い」をもつことは素晴らしいことです。
 白川静さんは90を越える高齢ですが毎日、文字の起源に関する研究をこつこつと続けています。このような高齢で根気の要る仕事を続けられるのは単純に心身が健康であるとばかりはいえないでしょう。やはり健康を越えた毎日の文字に対する「思い」が逆に健康を引っ張っているようにおもわれます。好きだからできるとはいえ、その「思い」の強さには常人を越えたものがあります。

 「思い」と健康が調和しない場合もあると述べましたが、どちらかというと普通の意味での身体的健康は「思い」があろうとなかろうと少しずつ磨り減ってゆきます。たとえ百歳でスキ-が可能であっても身体的健康が磨り減ってゆくことにはかわりなく、これは誰も止めることはできません。
 中高年はある意味では精神的、身体的に出来上がった世代で、現在に自足しがちです。特に退職されているかたはゴルフ、テニス,軽登山などのスポーツ、園芸、絵画、書道、ボランチア活動などさまざまな活動に「思い」をこめていることでしょう。
 中高年での「究極の健康」とは毎日を新鮮な前向きな気持ちで生きて行く力であるとすると、しっかりした「思い」をもつことは全てに優先した健康戦略上のポイントであるようにおもわれます。
 健康に長寿を保っているひとを見聞きすると、「やりたいことは全部やった、いつ世の中からいなくなってもいいんですよ」といいながら、それは言葉どおりでなく、強い「思い」をもって過ごしていることがわかります。
 「思い」とは明日にかける橋みたいなもので、現在に自足することではない。ひとは生まれたときから、明日をみているので、明日に対する「思い」があるからこそ生きることが可能なのではないかと思います。
(この項終わり、以下に続く)



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