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2020年8月7日

中高年の健康戦略(19) 富士通川崎病院 院長 行山康

 健康戦略に「時間」とはなにごとかというかたがおられるでしょう。物理学ではあるまいに奇異な感じを受けて当然です。しかし健康と関連がある毎日の行動とか生活習慣は常に「時間」が意識の中にあります。意識の中の「時間」に対処する次第によっては健康と関係がありそうだということを感じていただけるでしょうか。

 「時間」は意識のなかに貼り付いています。駅まで歩く「時間」、朝食にかかる「時間」、仕事をする時間、友達と過ごす「時間」などそれぞれに頭の中に、或る広がりと感覚で占有されたものがあります。こうした感覚は厳密には「物理的時間」とはずれています。
 「物理的時間」とは1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間、1年は365日と言った具合のもので誰も動かすことができません。一方、自分が感じている時間は夢中で庭いじりをしているうちに日が暮れたとか、余り面白い本なのでついつい夜更かしをしてしまったと言うたぐいで、これを「自分の時間」ということにしましょう。
 電車の出発時刻とか出勤にかかる時間、始業時間、占め切りに追われるなどは「物理的時間」を意識していますが、新聞を読んでいる時間とか今日の仕事の段取りをどうしようかと考えている時間は「自分の時間」です。
 通常は「物理的時間」を意識しながら「自分の時間」をすごしていることになります。あるいは「物理的時間」と「自分の時間」の狭間をいったりきたりしながら毎日をすごしているともいえます。あるいは「物理的時間」と「自分の時間」を微妙に混ぜ合わせながら行動していることもあるでしょう。

 日本人の平均寿命が男性78歳、女性85歳という高齢化社会となりますと、60代ではまだ活躍なさっているかたも多いでしょう。大部分の中高年者は生物としては自分には終わりがある事を予感します。さらにはいつまで健康でいられるかが気にかかってきます。最近は平均寿命だけでなく、健康寿命といったものも計算されています。
 すなわち「自分の時間」で毎日、活躍しているがついつい「物理的時間」が気にかかってくる。そうした場合、中高年者は「時間」とどのような折り合いをつけるでしょうか。
 健康に過ごせる「物理的時間」はかぎられているのだから、「今、ここ」を元気にやってゆこう。先のことは意識しないようにしよう、「自分の時間」を大切にしよう、これが普通のパターンでしょう。しかし「物理的時間」も少しは意識しておいたほうがよいです。世の中は「物理的時間」で動いているので「自分の時間」にはまりすぎると時には悩み、苦しみを生じます。
 そうはいっても「物理的時間」が限られていることを意識しすぎて、焦る、無理をする、あるいは始終、からだのことが気にかけて医者かよいを重ねる、こういうパターンは誤った健康意識ともいえます。はまってしまった「自分の時間」を生きているともいえますが、傍目には身体不調感を生きがいとしているようにみえます。
 また「悟り」の境地で心静かに「物理的時間」と「自分の時間」を統合して毎日を過ごすというパターンもあります。しかしこの境地に達することはなかなか容易ではありません。「悟り」が諦めとならないように注意する必要がありましょう。
ある老人病院の院長は「生涯青春―生涯現役で青春のようにチャレンジしつづける」をモットーとしています。「自分の時間」を主役として、「物理的時間」を脇役とする方向といえましょうか。

 去年今年貫く棒の如きもの(虚子)

 この高浜虚子の俳句を私なりに解釈すると、「ああ、年が替わって行く、この替わって行く時間の流れは棒のように真っ直ぐだな」というようなものです。年の暮れの移り変わりに詩心(?)を感じたのでしょう。「時間」は空気のように捉えどころがないものですが、身近に引き寄せた表現ですね。
 「物理的時間」は動かしがたい絶対的なもののように思われますが、つい2百年前には「自分の時間―心理的時間」に近いものでした。ちょっと前までは世界の各国ではそれぞれに固有の暦が使われてきました。日本では月の運行をもとにした陰暦が使われてきて、単位時間は昼間と夜で長さが異なり、時刻には「牛」だとか「鳥」といった十二支の名前がついていて、今から考えると大変ユニークなものでした。「正午」などはその名残をとどめています。
 現在は精密な時間で世界全体がうごくようになってきています。「物理的時間」は精密になってきています。「時間」は尺度であり、尺度は精密でなければならないからです。近代科学によって発展した技術的世界は尺度、測定をしっかりと精密におこなうことが全ての前提になっています。

 「物理的時間」が動かしがたい以上、自分の年からして平均余命も動かしがたく決まっているようにおもわれます。しかし「物理的時間」は精密になったとはいえ、約束事で決められていることにはかわりないのです。一年が365日で一日が24時間で1時間が60分などということは約束ごととして決められているのです。約束ごとですから4年に一度は366日になるし、秒針だって時々は調整されます。
 一方、「自分の時間」は意識がある限り確かなものです。しかしこれは自分しか感じ取れない感覚です。「物理的時間」は約束ごとなので、時には意識から抜け落ちたり「約束を忘れてしまう」あやふやさがあります。健康に過ごせる時間は単なる約束ごとで「時間」が絶対的なものでないとしたら、この世の中は何か幻(まぼろし)のようだな、などと思うかたもおるかもしれませんね。
この項終わり(次回に続く)



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